「貪欲からの解放」 08.01.27
ルカ12:13〜21
「あなたの隣人の家をむさぼってはならない」との十戒の
言葉を与えられています。「どんな貪欲にも注意を払い、
用心しなさい」と主イエスもおっしゃいます。
人が本当に人として健やかに生きていくために、そのように
語りかけてくれます。
主は、「愚かな金持ち」の話をなさいました。豊作で多くの
たくわえができて喜んでいる金持ちは、悪事を働いたわけでは
ありません。しかし、愚かで貪欲だとおっしゃいます。それは、
自分の存在を根底で支えている神さまを見失っているからです。
聖書は、貪欲なことを偶像礼拝と同じだと言います(コロサイ
3:5、エフェソ5:5など)。人は、神と冨との両方に仕えることは
できませんので、何かを貪欲に求める時に、神さまを脇に
追いやってしまうのです。この話の金持ちは、神さまの与えて
くださった収穫であることを見失っていました。神さま抜きに、
物事を見ていました。
貪欲は、愛を追い払います。自分が得ることに夢中の貪欲は、
他者に向かっていく愛と相容れることはありません。
この貪欲なお金持ちは、与えることのできない人であったと、
想像されてきました。
神さまを見失い、愛を失った者が、人として健やかに生きられる
はずがありません。
貪欲に注意を払いなさいとおっしゃる主イエスは、神さまに
養われ装われている烏や花を見なさいとおっしゃいます
(12:22〜31)。
貪欲は、不安や思い悩みと繋がっています。自分に対し
「楽しめ」と言い聞かせるように語ったあのお金持ちも、本当は
不安をなお抱えていたでしょう。主イエスは、「本当に貪欲から
開放されて安心して生きるために、養い装ってくださる神さまに
信頼したらよい」「ものを求めるよりも、神の国(神さまに治めて
いただくこと)を求めなさい」とおっしゃいます。
クリスチャンは、神さまへの信頼の中で、安心して歩んで
よいものとしていただいています。不安の中で、むさぼり
生きなくても、もうよいのです。